頼る人がいなくて、1人で頑張ることに疲れていませんか。
相談したいことがあっても、頼れる人がいなくて今まで1人で生きづらさを抱えてこられたのではないでしょうか。誰にも相談できなかったのは、本当に困っていることを安心して相談できる居場所に巡り会わなかったからかもしれません。
これからは、頑張っているのにうまくいかない現実、頼れる人のいない不安な気持ち、誰にも話せないお悩みなど、一緒に考えていきませんか?
育った環境になかった安心して話せる場をご提供します。
・困りごとや悩みを言うと、人に迷惑をかけることになる
・迷惑をかけたら、相手に冷たい顔をされたり呆れられる
・見放される(見捨てられる)じゃないかと不安
そうしたお気持ちから、何か困ったことがあっても、自分が悪い、自分さえ頑張ればいいと思ってこられたかもしれません。ですが、
あなたが悪いわけではありません。なぜならこのテーマはあなた自身の問題ではなく、相手の受け取る器つまり環境 が関係しているからです。
幼少期、親はよくしてくれたけど、本当の困り事を言うと、うまく受け止めてもらえなかったり、親が忙しく余裕がなそうで、本音を言うことは親を困らせ親の迷惑になると感じてはいなかったでしょうか。
上記のような生きづらさから抜けていくには、困っていることや本音を受け取ってくれる安全な器や環境が必要です。
安全な器や環境を提供するカウンセリングをスワダ相談室では行います。
表面的に他者に甘えれても、いつになっても核心にいかない
本当の悩み事や本音は人の迷惑になると感じて誰にも言えません。でも、近しい人に表面的に甘えることはできるかもしれません。表面的な甘えは、精神科医・土居健郎氏が言った「甘やかし」や「甘ったれ」にあたります。
今や「甘え」といえば人々は一方的な「甘やかし」かひとりよがりの「甘ったれ」のことしか考えなくなったのだ。好意があると思わせたいかもしくはそう思いたいという意図があって、その結果として相手に「甘える」振りをさせることが「甘やかし」であり、または反対に自ら「甘える」振りをしてみせることが「甘ったれ」なのである。
引用:「甘えの構造」土居健郎
例えば、異性に表面的に甘えたり甘えさせるような関係は、共依存的な関係のところでグルグルし、いつになっても核心にいかず(いつもどこか不安で)甘えたり頼れる人がいないという気持ちは変わらないのではないでしょうか。
表面的な甘えは、相手に甘えている(甘えさせている)という自覚がありますが、土居氏が言った「甘え」とは、「甘やかし」や「甘ったれ」とは似て非なるものです。
そのため、上記のような生きづらさから抜けていくには、相手をあてにできると思わせてくれる”受け取る器や環境”となる”他者”が必要となります。
私も頼る人がいないという生きづらさを感じていました。
私自身も頼れる人がいない生きづらさを感じていました。
相談するといってもどこに行ったらいいか分からず、ヒプノセラピー、ヒーリング、コーチングなどいろいろ試し、話せることで少し楽になりましたが、本当に困っていることは、一人でなんとかしないとという気持ちは変わらずでした。
※写真はイメージです。
その後心理学に出会い、悩みに合ったカウンセリングをしてもらい、カウンセリングでのやりとりを通して、面倒なことを言ったら冷たくされるんじゃないかといった不信感を取り扱ってもらい、初めて本音を言葉にできるようになり、今は心に安心の土台がいつもあります。
カウンセリングを受けてみませんか?
頑張っているのにうまくいかない現実、頼れる人のいない不安な気持ちなど、一緒に考えていきませんか?
カウンセリングは、こちらからお申し込みくださいね。
初回カウンセリングのご案内
当相談室で初めて受けられる方のためのカウンセリングです。
「個人カウンセリング」にお申込みください。